いつもと変わらぬ103回目の夏

昨日は小津安二郎の映画を観るために渋谷へ。


上映されたのは『秋日和』と『小早川家の秋』の二本。
ともに小津晩期の映画です。


両方とも観たのは去年、三鷹で開催された小津の連続上映会に続いて2回目。
土地柄か、三鷹と渋谷で客層がかなり違うことに驚きました。


三鷹はもう見渡す限りおじいちゃんおばあちゃんで
毎回確実に私が最年少ベスト5に入るのでは、と思うほど。


かわって渋谷は喜寿を越えてそうな方から学生さんまで。
私が観終えてから入れ替わりで入ったひとたちは
ほとんど20代前半より若い感じでした。


「ああ、あんな若いひとたちも小津を観るんだなあ」と
ちょっと嬉しくなったり。


お昼にはこの日の映画に出演した司葉子トークショーも催されました。
ちなみに小津映画に出ていた俳優さんを生で観るのは今回が初めて。
ちょっと緊張しました。


「小津映画に出るくらいの大ベテランなのに、やっぱり見た目が若いなあ」
とか
「小津ワールドの住人が今こうやって目の前にいるってのは凄いよなあ」
とか
司葉子くらいのひとでも、やっぱり原節子高峰秀子の前だと緊張するんだなあ」
とか思いながら観覧しておりました。


秋日和』は佐分利信中村伸郎・北竜二のオヤジ三人組がとにかく楽しげで。
「旧いつきあいっていいよなあ」とつくづく感じました。


旧友の法事の後に設けた一席で、旧友の妻(原節子)とその娘(司葉子)が
帰った後に「俺は娘がいいな」、「いや俺はおふくろだな」などと
品の無い話を嬉々としてするオヤジ三人組と、
父の旧友三人が進める母の再婚話に「不潔」と嫌悪感を抱く司葉子
決まりかかった再婚を「やっぱり私はお父さんとふたりで生きていく」と
土壇場で断る原節子


下品なオヤジどもと潔癖な母娘のコントラストがくっきりと出ていて、
それだけに娘の親友(岡田茉莉子)が単身、オヤジ三人組の職場へ乗り込んでいき、
「娘の気持ちも考えずに、なぜ勝手に再婚話を進めるのか」と
佐分利、中村、北をやり込めるシーンは痛快でした。


寿司屋の娘でチャキチャキで、友達思いで抜け目がない。
そんな明朗快活な娘さんを岡田茉莉子が好演しています。


また、そんな若い娘の憤激を度量の広さで受け入れる
オヤジ三人組の大人の余裕も心憎いですね。


小早川家の秋』は中村鴈治郎の軽やかさが印象的でした。


小津映画らしからぬセリフ口調の自然さ。
それでいて、厳密に敷かれたレールを踏み外すことなく
その上をスキップするかのような縦横無尽さ。


小津映画の第一人者、笠智衆の対極に位置しながら
彼に劣らない光を放っている印象を受けました。


映画が終わって席を立つとき、
中村鴈治郎ってカッコいい」と話す若い娘さんの声が。
嬉しいですねえ。あのカッコよさを分かってくれますか、娘さん。


森繁久彌加東大介がバーでグラスを傾けるシーンもいいアクセントです。
ツッコミの森繁にボケの加東。一時、喜劇度が急激に高まります。
トークショーで「小津先生は無色な森繁さんが欲しかったようで、
このシーンだけで3日かかりました」と仰った司さんに
司会の方は「それでも森繁色がにじみでてますね(笑)」なんて話されてましたが、
そう言われてみると、このシーンは押さえつけたい小津と自分を出したい森繁の
せめぎ合いのように見えてきます。
司さんのお話によれば、最後は森繁が根負けしたようですが。


それに小早川家の家庭面を切り盛りする奥さんの新珠三千代が綺麗でした。


子どももいて家事に追われ地味な服しか着ないのに、それでも綺麗。
それも、違和感のある浮いた綺麗さではなくて、
日々の生活感を否定しない、地に足の着いた美しさ。


チューニングの非常に難しそうな、とても絶妙な位置にある綺麗さでした。


小津映画らしからぬ、ちょっとおどろおどろした感じで終わるのですが、
音楽がいつもの斎藤高順ではなく黛敏郎だったんですね。


この日も満腹して帰りました。良き日。