今回も満腹

先述の通り、昨日は先週に続いて小津安二郎の映画を観に
渋谷へ足を運びました。


昨日の上映はこの日のトークゲストの岡田茉莉子さんに合わせてか
秋刀魚の味』(岡田さん出演)と『東京の合唱』(お父上の岡田時彦が出演)。


もうひとりのトークゲスト、吉田喜重監督いわく
「幸せな作品」である『秋刀魚の味』は小津安二郎の遺作。
この作品が封切られた翌年に小津安二郎は60年の生涯を閉じています。


私は最初から「小津の遺作」という目で見てしまってるからか、
「小津先生はこの作品を最後とする気はまったくなかった」(吉田監督)といわれても
やっぱりこの映画に「終焉」を感じずにはいられないのです。


特にラストの今にも泣き出しそうな横顔を見せた後、背中を向けて
洗面所へと向かう笠智衆の姿は、もう手の届かないところへいってしまうような
そんな寂しさを感じてしまうのです。


このシーンでの笠の「今にも泣き出しそうな横顔」。


『東京暮色』では娘の不慮の死にも負けずに
(あくまで外面上は)飄々と、そして力強くまた人生を歩き始める父を演じて
映画の最後の最後に希望の灯をみせてくれた、
また『東京物語』では妻を亡くし号泣する演技を要求されるも
「男子たるもの、大勢の前で大泣きすることはできません」と
どんな大俳優でもアドリブを決して許さない小津監督を相手につっぱねてみせた
あの笠智衆が見せただけに、その感情が苦しいほどに胸に迫ってきます。


『東京の合唱』は岡田時彦と八雲恵美子の夫婦が特に良かったです。


触らば斬られるようなキリリとした目元が印象的な二枚目でありながら
滑稽な動作が光る岡田に、貞淑な妻を演じつつも髪を乱し
目に涙を溜めて訴える姿にぞくぞくするような色気を感じさせる八雲。


いかにも「いい人なんだけど、いかにもうだつのあがらなさそうな中年」の
坂本武もいい味出してました。
こんな「しょうがないけど、こうなんだよね」というオヤジをやらせたら、
このひとの右にでる役者さんはそうはいないと思います。


ところで、先週上映された『秋日和』で
前々から不思議に思っていたシーンがあったのです。


それは悩む親友のために
単身、オヤジ3人組のそれぞれの職場に乗り込んだ岡田茉莉子
話をつけたあとに3人組を自宅である寿司屋に連れてくるシーン。


そこで彼女がセリフを言ったあとに「ヒック」と
ドリフの加トちゃんがやるような酔っ払いのしゃっくりをする
場面があるのです。


その上手さと異質さが非常に印象強かったのですが、
果たしてあの小津監督があんなシーンを岡田茉莉子に要求するだろうかと。


セリフから歩くタイミングから腕の上げ下げから
それこそ一挙手一投足を頭の中で緻密に計算し尽くして、
それを完璧に現実化することを俳優に課すという彼ですから、
逆に言えば「絶対にこれは無理だ」ということは
おそらく求めないだろうと。


当代きっての美人女優である岡田に小津が納得するまでのしゃっくりを
マスターさせるのはなんだか酷な話にも思えるし、最初から小津が
「岡田はしゃっくりの真似が得意だ」と知っていたから導入したというのも
都合が良すぎるように思えるし、あのシーンのしゃっくりは
どういう経緯で組み入れられたのかが不思議だったのでした。


その疑問の答えを、岡田さんが昨日のトークショーで自ら明かしてくれました。




あのしゃっくりは岡田さんのアドリブだったのです。




たまげました。
疑問は氷解したのですが、それがどうでもよくなってしまうくらい驚きました。


あの小津安二郎の現場でアドリブをカマしてしまうとは。
先週のゲストである司葉子さんが
「初めて演じた時、あまりの緊張に失神してしまった」ほどの
ギリギリまで張り詰めた小津組独特の空気の中、
いかなる存在にも決してアドリブを許さない
厳格な小津監督の前で行われた予定外の演技。


さぞかし現場は凍りついたことでしょう。


しかし、小津監督は
「お嬢さん(岡田さんは小津監督にこう呼ばれていたそうです)、
 それ面白いね。それでいこうか」とこのシーンをそのまま採用したとか。
長らくの疑問が解けたお話なのですが、聞いてるだけでもヒヤヒヤものです。


岡田さんが小津監督に
「先生の映画で私は野球で例えたら何番バッター?」と尋ねたら
「1番バッターだよ」と答えて、「じゃあ4番は?」の問いには
杉村春子だよ」。


場内に轟く「おおー」の声。
それにしても、1番岡田4番杉村。まだ原節子田中絹代佐田啓二も控えています。
とんでもない打線です。


岡田さんのこんなお話を伺ったり、吉田監督の生解説を拝聴した上に映画2本。
すっかり堪能させていただきました。